飛べ飛べ!めだか

メダカの飼育記録、ビオトープや平凡な日常の出来事など♪


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ちょっとあの日を振り返って

3月11日から1年が経とうとしていますね
あの日、皆さんのお住いの地域も被害があったり、物資不足など大変な日々があったと思います
私の住んでるところは宮城県の沿岸地域なので・・もちろん被害はありました

自分自身が忘れないよう記録として残したいと思い書きとめます・・・・・が、後で消すかも・・・
かなり長文になるかと思いますがお暇な方はお付き合いくださいませ




あの日は嫁とセガーレは実家に帰省していてこの日の夕方に帰ってくる予定でした
食事は自分一人なので全て外食で済ませていたので冷蔵庫はあえて空っぽにしてました 
これは後々残念な結果に・・・
こんなにも食料不足に悩まされるとは考えもしませんでしたので
スーパー、コンビニは軒並み閉店・・というより市内の浸水しなかった店が何店舗残ったことか

余談ですがこの頃、庭先でバーベキューをしている方の姿がありました
当時は???だったんですが、よくよく考えると停電で冷凍していた食品がダメになるから焼いて食べていたんですね




自分はその日壊滅した地域のすぐ近くに用事がありその場所について間もなく猛烈な揺れが襲ってきました
先日からしつこく揺れていましたし、私の住んでる宮城県は30年以内の大地震の確率が99㌫なんてふざけた数字があったので正直揺れてる最中でも隣にいた知らない男性と「これが宮城県沖地震ですかね」なんて冷静に話をしてましたが徐々に揺れは大きくそして時間は長く、しまいには立っている事ができないくらい強烈な経験した事のない揺れでした

30年前の宮城県沖地震も体験してましたし地震の後の大変さも覚えています
真っ先に頭に浮かんだのは家の水槽がひっくりかえってるかも?でしたが同時に水を浴槽に入れて生活用水を確保しないと!でした
まだ揺れも収まらないうちに車に飛び乗り走らせましたが結果これが良かったのかもしれません
そのとき居た場所もすぐに浸水してしまいましたから
信号も止まり渋滞が始まっていましたが隙間を縫って家に到着!
車のラジオでは最初6mの津波のおそれがありますと言ってましたが、その内10mの津波が到達していますなんて聞こえてきました
そのときはどこか他人ごとのように聞いていましたけどね


家に着いたときにはすでに断水になっていたので水を溜めることはできず、そして幸いにも水槽が倒れていなかったのでさっと片付けて職場に戻りました
職場に着くと連絡が取れない人もいましたが数人は無事戻ってきました
緊急災害の際は会社と行政で災害協定を結んでおりましたのでその作業に向かいます

結局夜間まで作業にあたりましたが、その時の星空がとても綺麗だったのが印象的でした 
それだけ放射冷却で寒かったんですけどね
夜の10時くらいまでは嫁さんと電話は通じていました 電車から降りて仙台市内の小学校に避難してるから大丈夫と
その後携帯は一切通じなくなりましたが無事を知ってホッとしました

海の方を見ると空が赤くなってました 空が真っ赤かで異様な光景です 後に知りましたが小学校が燃えていたそうです
DSC01886.jpg
火災にあった門脇小学校です

結局当日は夜中の1時まで作業をして解散しましたが防寒着を着込んでも寒かった夜 その時はは考えもしませんでしたが、びしょ濡れになって避難した人は相当寒かったと思います というよりはそれで命を落とした話も後日沢山聞きました


日が変わって翌日12日
情報の混乱の中、昨日に続き災害協定作業です
会社の車両で救援物資を届けますが避難所に行く道がどうなってるかも分からない手探り状態
とにかく要請のあった場所に届けなきゃと言う事で避難所に向かいます
人づてに話は聞いていましたが現実に見る光景は絶句でした
あまりにも変わり果てた街の光景にビックリというより現実味がありませんでした
とにかく目的地を目指しますが普段行く道では水没してたり瓦礫や流された車両で進めません
画像 039
裏道を駆使し自衛隊が瓦礫を除けてる後ろをついていったりしてなんとか避難所に
辿り着きます
避難所は想像を絶する状態でした 
暖も無ければ水も食べ物もなくトイレも流せない過酷な状態のなか多くの方が不安の中で身を寄せています
救援物資を下ろしていると避難されてる方が近寄ってきてあっちの街はどうだなんて聞いてきます
DSC01877.jpg





正直この段階ではだれも正しい情報もなく家族と離ればなれになってる方達も多いとき
本当の混乱はこの1~2週間がピークだったと思います
DSC04031.jpg
 





普段の生活でこんなにも多くの人の生死が身近にある経験はしたことがありません
避難所で知り合いに合うたびに おー!生きてたか~!無事でよかったよかった 
・・・でもその後に家族は大丈夫だったの?と聞くのは怖くて聞きにくかったです
もし万が一にもダメだった場合はかける言葉が見つかりませんから・・・・



そしてこの頃ぼちぼち自衛隊の姿が見え始めた日でした 通路の確保と生存者の救出と・・・
・・・亡くなった人の収容です
DSC01684.jpg
流された車両の中に閉じ込められて亡くなっている姿も数多く見ました 
瓦礫にひっかかてる姿も見ました
自衛隊の方々によって数箇所おきに亡くなった人達が集められます
一人ひとりに手厚く毛布やシートをかけられて横たわっています 
集め終えると丁寧に手を合わせて弔っていきます
その中にランドセルが置かれています・・・・
おそらく子供でしょうか自衛隊の方も悲痛な顔で手を合わせています
とんでもない状況だったとはいえ、おそらく一生忘れることはない光景だと思います


3月13日
引き続き救援物資を避難所に届けます
この頃になると警察と消防車両なんかも目に付くようになってきました
数キロ先まで赤色灯が続いて救急車と消防車が走ってきます 
他県からの応援です 神戸と長野と新潟ナンバーだったかな?
不謹慎ですがかっこ良かったです 見渡せる道路の向こう数キロまで赤色灯が続いていました
ヘリもひっきりなしに飛んでいます 救助活動が本格的に行われています
・・・そう! 我が家の嫁さんとセガーレの救助活動を進めなければ!

ここからセガーレの避難先まで道が繋がっているのかどうかも分からないので慎重に情報を集めます
この日避難所では随分マスコミが来ていました これはチャンス!
東京からでも仙台からでも来る道はひとつはある!
インタビューしている所におじゃまして逆にインタビュー どの道から来ましたか?と
ほうほうなるほど!あの道から よーし 行くルートは分かったぞ! 
さあーいつ行くかと考えますがとても仕事を抜けて家族を迎えにいく雰囲気ではない
事実人手が足りてない これは困った おまけにラジオでは嫁さんの避難してる小学校には最大
に・・に!・・2千人!!の人が避難している!?
まちがえても仕事が終わった夜間に向かったて停電で照明もないのに絶対に見つける事は不可能・・・どうしよう

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長くなりますので次回に続きます
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